第402回 ワインの混ぜ合わせについて再び

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  • 2004年9月2日(木)
390回のコラムで、
山本益博氏がブルゴーニュ最高峰の特級畑ワイン、
造り手がドメーヌ ド ロマネコンティ社の
「ロマネ コンティ」(以後 ロマコンとする)1929年物に、
1982年のただの特級畑ワインの
「ロマネ サンヴィヴァン」(以後 ロマサン)を
注ぎ足して飲んだことを
公然と雑誌のコラムに書くのはいかがなものかと述べましたところ、
お二人の読者の方から次のようなご指摘を受けました。

シャンパーニュなどでは古いシャンパーニュに
新しいシャンパーニュを注ぎ足す手法があるので、
問題ないのではないか、とのことでした。

確かにヴィンテージシャンパーニュといっても原産地呼称法では、
100%同じヴィンテージである必要はないのですが、
しかしその年の物を主体に
せいぜい前後数年間のワインを多少ブレンドするだけです。
古いシャンパーニュを飲むと、ガスが抜けていて物足りなく、
活気がなくだれているので、
若いシャンパーニュを注ぎ足す事はあるはずだ、
とのご指摘もありましたが、
私は若いシャンパーニュを注ぎ足すといったサービスは
ありそうですが見た事がありませんし、
実際にしてもらったという話を周りで聞いた事がありません。
自分たちがそれを望まないからですが、
ここで、一度、古酒というものを飲む時、
ワイン愛好家はどういうことを望むものなのか、
を考えてみたいと思います。

シャンパーニュを含めて古酒を飲む際、
人はそのワインに何を求めるかが問題と考えます。
その昔のその年の天候、作柄を考えてのその年の特徴や、
長い年月の経過による熟成感などを味わうならば、
何の手も入れない
保管そのままの状態のワインを味わうのが一番と考えます。
パリの有名レストランのワイン関係者と
ワインを共にする機会があるのですが、
でてくるワインは
シャンパーニュも含めて1950年前後のものが主体ですが、
すべてそのままで飲みます。
古酒ですから、保管の違いや瓶ごとの違いで、
同じ年でも強かったりへたり気味のものにも合いますが、
それをそのまま享受することにしています。

特にシャンパーニュの古酒は、ガスがほとんどなくなって
白ワインに近くなっているのが多いですが、
シャンパーニュの古酒好きはそのような状態を一般的に好みます。
ガスが足りないという不満はあまり聞きません。
よくシャンパーニュの古酒にはまると、
その収集で破産する、と例えられます。
それほど魅力的なシャンパーニュの古酒ですが、
色は白ワインと同じく古酒になるほど赤ワインの古酒に近くなり、
近年のシャンパーニュに比べたらガスはほとんど感じません。
しかし、白ワインの古酒に似ていますがそれは甘美な味わいに、
一度飲んだら病みつきになられる方も多いのです。

確かに若いものを注ぎ足す方法もあるでしょうが、
活気があるガスの抜けていないシャンパーニュを飲みたいならば、
わざわざ高い価格の
シャンパーニュの古酒を飲まなくてもいいわけです。
古酒は、その枯れ方をも楽しむものと考えます。
濃ければ、活気があればいいというならば、
1990年前後のシャンパーニュやワインを飲めば良い訳です。

よく「リコルクワイン」という
コルクを打ち直す作業をしたワインがあります。
古くなったワインの
ぼろぼろのコルクを新しいコルクに打ち直すのですが、
その際、若いワインを注ぎ足す場合があります。
しかし注ぎ足すものは若いワインですが、同じ畑のワイン、
つまりヴィンテージは違いますが、ロマコンならロマコン、
ロマサンなら同じロマサン、と同じ畑のワインをいれます。
間違っても違う畑のワインを入れる事はありません。
しかも、一部のアメリカ人を除いて、
その注ぎ足した活気をだした
リコルクワインを好むワイン好きは少ないのです。
当然、オークションでも
リコルクものはアメリカの一部のオークションを除いて
落札価格はノンリコルクより低くなっています。
ワインを注ぎ足さず、新しいコルクに変えただけでも
そのワインを「リコルク物」として嫌う古酒好きは多いです。
古酒好きは、その年の天候などの作柄、
そしてその畑の能力(テロワール)を思い浮かべながら
古酒を楽しむようです。

今回のマスヒロ氏は、ワイン好きの憧れ、
夢のワインであるロマコンのしかも古酒、しかも1929年と、
もうほとんど世に出回っていない大変貴重なワインに
若いワインを注ぎ足して
その偉大なワインの自然な熟成を味合わなかっただけではなく、
文字通り畑違いのワインを入れてしまったのですから、
問題外というわけです。

ロマコンとロマサンは、価格もまったく違いますが、
畑の特徴からその味わいはかなり異なると言われています。
しかも
ヴィンテージが50年も違うワインをいれてしまったのですから、
混ぜたワインはまったく異質のものとなっております。

例えて言えば、久保田でも
古い万寿に新しい紅寿を混ぜたようなものです。
マッカランの30年物に12年物を混ぜた以上に
変則的なことをしているわけです。

夏のヒラメが脂ののりが悪いと感じて、
カレイを併せて2枚重ねて食べるようなもの、
夏の近海鮪の脂ののりが悪いというので、
冷凍のミナミマグロと2切れ合わせて
口の中に入れたようなものです。
脂ののった白身が食べたいならば
夏にはヒラメをやめてカレイを食べればいいのです。
夏に脂の乗った鮪が食べたいならば、
単純にミナミマグロだけを食べればよいわけです。

よって、コラムにも書きましたが、
活気のあるワインを飲みたいならば、
若いワインを飲めばいいだけなのです。
1929年のロマコンをわざわざ飲む必要はないでしょう。
世の中には、たとえ枯れかけていたとしても、もっと有難がって
そのワインをいただくワイン愛好家は多いはずです。(私も含めて)

古酒になるほど保管条件などで状態がリスキーになりますが、
それがまた古酒の面白さでもあるわけです。

1929年のロマコンは、
20世紀のなかでトップ5に入る出来のはずです。
ちゃんとした保管ならば、
たとえ日本で長期保管されていたとしても
充分満足できるワインであると想像します。
この年代前後のブルゴーニュ赤を何回か飲んだ経験がありますが、
ロマコンよりはるか格下のワインでも
充分古酒として満足できました。
多分、マスヒロ氏は
古酒の本当の味わい方や良さをご存知ないのでしょう。
もともとワインというか、お酒が得意な体質ではないようですから、
たくさんの経験があるわけではないと想像します。
彼の記述で、よく飲んだワインのことが書かれていますが、
せいぜいヴィンテージとワイン名(畑名)だけで、
造り手のことが書かれていません。
ワインは造り手によって、まったく異なるものになり、
また造り手が重要な拘りにもなっているのです。

それだけワインにほとんど拘りのない人が、
50年も違う、しかも畑の違うワインを混ぜて、
いかにも「粋な飲み方だ」と自慢のごとく表現することは、
「おとなの週末」の読者に
まったく間違った知識を与えてしまうことでいかがなものか、
と問題を提起したのです。

ワインの古酒に対する考え方は人により若干異なるかもしれません。
古酒の特徴である、枯れた、もしくはあの淡い味わいを好まない
ワインラヴァーの方も沢山私の周りにもいらっしゃいますが、
そのような方は、古酒をわざわざ飲まれません。
古酒は、とくに高価な格付けのワインは
本当に数がなくなってきています。
お金さえ払って購入すれば、
それをどう処理しようと自由だとのご意見もあるかもしれませんが、
お金を払えば
フランス料理に持参の辣油や酢をかけて食べてもいいものなのか、
高級ワインをコーラや炭酸で割ってもいいのか
といったマナー面での問題があります。
個人の自由でしょうが、それは隠れてすることで、
自慢して公言するのは品が良いとは思えません。