第906回 ようこそ J.C.オカザワさん 6友里よ、アナタもまだまだだですよ!
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- 2006年2月27日(月)
「このビール(スーパードライ)を好む人に
グルメを語ってもらいたくない」
という言葉に同調してしまった友里。
オカザワ氏のメールは当然ながら反論でありました。
さてお待たせしました、ビールの1件。
これは「笹鮨」の主人と友里さんのお2人に言いたい。
ビールの好みは千差万別、
今までワタシはスーパードライが好きで
エビスが嫌いと言い続けてきました。
これはワタシの勝手な好み。
けれどエビスを好む人を非難したことは1度もございません。
エビスしか置かない店に注文を付けてきたのです。
客の嗜好をフォローしきれないのは店側に問題があるのだと。
「このビールを好む人にグルメを語ってもらいたくない」
――自分と好みの異なる人間の価値を
それだけで認めない傲慢な人間に、
友里さんには安易に同調してほしくなかった。
今一歩の分別がほしかった。
こればかりは反論の余地のないところで、
ここは素直に反省していただきましょう。
「友里さん、アナタもまだまだですよ!」
今さら自分の好みを披露しても仕方がないのですが、
ドライが好きなのは何と言ってもノド越し。
ドライがノドの味蕾を直撃したときの旨さは何物にも代えがたい。
この1杯のために1日働いたと言っても過言ではない。
爽快なあと口も快い。
反してエビスはワタシには重過ぎる。
そば屋・すし屋にエビスしか置かない店が多いが、
繊細な和食にエビスはツラい。
時として食材の個性を消してしまうことすらありますもの。
まっ、
サッポロのセールスマンたちの秘策があってのエビスの普及で、
各店主が選び抜いているワケではないのが実状です。
とにかくワタシに取って、ビールは清涼飲料水、
酒類の範疇には入らないのかもしれません。
ビールを酒としてジックリ飲まれる方とは
おのずと好みも違ったものになるのは必定でしょう。
自分と好みが異なる人の価値を認めない傲慢な人間に同調した、
友里はまだまだだ、とのご指摘。
確かにスーパードライを愛する人に対して
私は偏見を持っていると言われても仕方ないかもしれません。
分別が足りなかったのではないか。
その点ではまだまだと反省しなければならないでしょう。
あくまで人それぞれの嗜好の問題ですから。
確かに私は家ではエビスを飲み、
外ではエビスがなくてもなんとしてもドライは避けるほど、
このビールの味を認めておりません。
エビスが重過ぎるかどうかは別にして、
ドライは軽すぎるというかフワフワで薄すぎると感じます。
しかし、食材の個性を消すと言われながら、
食中酒ではなく食前酒として最初の一杯を楽しむ飲料と言うならば、
重くても食材の個性を邪魔しないはず。
このあたりにオカザワ氏の整合性を私は理解できません。
食中にも飲む事はありますが、
代表的な食前酒でもあるシャンパーニュ。
クリュギストといわれる多くのファンを持つ「クリュッグ」は、
ノンヴィンも含めて決して軽い喉越しの、緩いものではありません。
人それぞれの嗜好を批判するなといわれると、
廉価な寿司には本物でない「ねり山葵」が好きな人、
もしくはそれがいいと思っている
寿司屋の主人もいるのではないでしょうか。
人それぞれの嗜好や価値観の違いの批判を封じられると、
友里はもうマスヒロさんや犬養さんの批判が出来なくなります。
料理人の性格も人それぞれということになれば、
私どころかオカザワ氏の「悪い店の糾弾」も出来なくなってしまうと
私は考えます。
オカザワ氏や友里が批判する店でも、
根強いファン、常連が居るからです。
さてドライについて一言。
天狗など安いチェーン居酒屋にはなぜ、
アサヒスーパードライしか置かれていないのか。
また、何種か置いてある店でも、客単価の低い店は何も言わないと、
なぜドライを真っ先に持ってくるのでしょうか。
ドライの方が、仕入が高いという話を昔飲食店関係者聞きましたが、
私は信じられません。
仕入コストに敏感なチェーン居酒屋が、
仕入が高いというドライだけを置くはずがないからです。
ドライの発売後、
またたくまにシェアを広げていったアサヒの営業力、
とくに居酒屋への食い込みには感心します。
サッポロの戦略より、アサヒの戦略、
つまり「和食にはドライが邪魔しなくて引き立たせる」といった
眉唾の宣伝文句にも友里は脱帽です。
所詮「とりあえずビール」の代物。
毎日飲むほど好きな飲料ではありますが、
これ以上の論争が必要なのかどうか。
オカザワ氏のご判断をお待ちしております。