第581回 友里征耶のここまで言うか その1日本でワインを造る意味があるのか

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  • 2005年3月13日(日)
新しいシリーズを考えてみました。
普段からずばずば言い放つ友里が
なんで今更このシリーズかという疑問も持たれるかもしれませんが、
先日知人との会食で日本ワインの話題になりまして、
前から一度取り上げてみたいと考えていましたので、
敢えてこのシリーズ名をひねり出しました。
色々ご意見によりましては、1回でボツになるかもしれません。

この日本で造るワインというのは、
スーパーなどで売られている
500円、1千円のワインではありません。もっと高額なワインです。
廉価なワイン、
たとえば今でもあるのかどうか「サントネージュ」など
スクリューキャップやデキャンタみたいな瓶に入っているワインは、
日本のメーカーが販売していますが、
中身は日本製ではありません。
正確に言うと、ブドウやブドウジュース、
中にはワインそのものをチリやアルゼンチンなどから輸入して、
若干日本のワインも混ぜるかもしれませんが、
醸造やブレンドをして瓶詰めしたものです。
フランスやイタリア、カリフォルニアの
原産地呼称法では考えられない
日本のワイン法のいい加減さなのですが、
この手法は今流行の北朝鮮の「アサリ」の他、
高級品であるブランド牛も産れた地域と
生産地といわれる最終地が異なるものが見られますから、
日本国の諸々の事情により仕方ないのかもしれません。

今回私が取り上げたいワインは、
何年、何十年も前から日本の各産地で
フランスなど本場のワインに負けない、
それ以上のものを造ろうと
頑張っている方が造られているワインのことです。
日本の品種以外にも、
フランスなど本場の品種を栽培する場合もあり、
また、貴腐などをつけて甘口に仕上げるワインもでています。

各メーカーの方、栽培家、醸造家の方は
本当に一所懸命に頑張っておられるのはわかっています。
しかし、誤解や反発を恐れず言わせていただければ、
その夢はわかるが難しいのではないかと。
気候条件の違いから、
フランスなどのように「垣根つくり」、「株つくり」では
湿気の多い日本では難しく「棚つくり」にならざるを得ません。
頑張って「つくり」を
本場と同じスタイルにすることは可能でしょうが、
それに対する手間隙は大変なものです。
そしてワインの価格にその手間隙が乗ってしまいます。
でも日本ではなく、本場で造ればかからない経費です。
日照時間や風土も違いますから、
人間の頑張りだけではカバーできないと考えるのです。

私も評価の高い数万円する日本のワインを飲んだことがあります。
確かに昔と比べて良くはなってきていますが、
同じ価格のグランヴァンと比べるまでもありません。
熟成にも耐えられるものかどうか。
貴腐ワインなど
あの世界一と言われるイケムより高い場合もありますが、
中身が相当するとはとても思えません。

モチは餅屋という言葉もあります。
アメリカで日本酒やお米を造っているそうですが、
それらは低価格品のはずです。
フランスで魚沼産コシヒカリや菊姫
(昔は日本のDRCと言われていた)を目指して米造り、
日本酒造りをする人がいるとは思えません。
ニーズがないからですが
たとえあっても現実的なフランス人が望むかどうか。
日本では、無理に鮨にワインを合わせようとか、
この無理なことをするのが粋、
チャレンジ、夢だと思う風潮もあるようです。
でも鮨屋のワイン戦術は、
日本酒はせいぜい1~2万円、でもワインなら5万円請求できる、
といった売り上げ至上主義の戦略なのですが、
それを店は言いません。
せっかく日本酒など鮨に合う酒が日本に沢山あるのに残念です。
それにひきかえ、フレンチに日本酒を無理に合わせようとする
フランス人オーナーがいるとは思えません。

日本でフランスなど本場のワイン造りを目指すより、
本場のおいしいリーズナブルなワインを開拓する、
また、そのような造り手に投資する、というほうが
日本のワイン飲みには有り難いことだと思うのは私だけでしょうか。