第522回 友里征耶と客を斬る その9匿名はアンフェアだ

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  • 2005年1月13日(木)
偶然ネットで
ホイチョイ・プロダクションの「東京コンシェルジュ」
というものを見つけました。
「FRaU」という雑誌にも掲載されているシリーズものですが、
そこで有難いことに拙著を取り上げていただいておりました。
東京の2大メジャー?料理店評価本である
「東京いい店うまい店」「東京最高のレストラン」との
評価上での比較のような特集でした。

私はホイチョイといえば
直ぐに昔に出した料理店評価本を思い出します。
あまり品の良いタイトルではありませんでしたが、
その切り口や文体の面白さに抱腹絶倒、
参考にして訪ねた店もかなりありました。
嗜好が似ているのか、今回の比較表でも
私と同じような店の評価がかなりあるのですが、
しっかりご指摘と言うか友里の問題点を挙げられていました。

ずばり、友里は「匿名批評である」ということ。
店や料理人は実名で逃げ隠れしていないのだから
アンフェアであるとのことでした。
料理評価に覆面性は必要だが、顔さえださなければいいわけで、
名前を隠すな、というご意見です。

確かに言われていることは筋が通っています。
「匿名」の解釈を除いて。
「匿名」とは広義には実名を名乗らない意味だと思いますが、
それならばペンネームを使用している人は皆、
匿名ということになります
三島由紀夫がペンネームだということは広く知られていますが、
彼の実名を言える人がどのくらいいるでしょうか。
しかし、彼を匿名作家という人は居ないはずです。
彼は顔を出していましたが、
顔を出してさえ居れば匿名にならないものなのか。

私は責任の所在で色分けするべきと思います。
ネットの掲示板のように、
誰が書いたか名乗らないので責任追及が難しいものではなく、
実在の出版社が出した本、新聞社が掲載したコラム、
事務所が管理するHPのコラムでは、
責任の所在ははっきりしています。
しかも、その出版社、新聞社、事務所の先には
たとえペンネームといえども筆者が居て、
文責の所在ははっきりしているのです。
俗に言う「匿名」と違って、逃げ隠れするものではなく、
また逃げ隠れは法的にも出来ないのです。
ですから、アンフェアになるのかどうか、私は疑問であります。

ただ、あの犬養さんも一時期「匿名、匿名」と
私を批判していました。
そのくらいしか反論できないのでしょうが、
(あと具体的指摘なく事実無根が多いとも言われている)、
私もこんな事に対して突っ込まれるくらいなら、
顔さえださなくて
実名を出しちゃうほうがすっきりすると考えたこともありました。
でも無理なのです。
実名を出すと、かなりの期間食べ歩いてきましたから、
多くのお店で顔が一致してしまう恐れがあるのです。
覆面性が保たれないと考えます。
偽名で予約、もしくは一緒に行く人の名で予約しても、
顔がイメージされれば意味がないのです。

マスヒロ氏や犬養さんのように、
所属会社の営業でコンサルをして利益を上げたいならば
顔出しは必須です。実名も出したほうが良いでしょう。
そうしないとコンサル契約できません。
でも彼らとは方向性が違いますので、
私にはその必要性を感じないのです。

実名で取材して、どこそこのオーナー・主人と親しい、
よく利用している、としてその店、商品を紹介しているものを
よく見かけます。
しかしそこには金銭のやり取りはなくても、
必ずわずかでもなんらかの便宜供与が存在します。
迎えにきてくれた、案内してくれた、など些細なことも含めてです。
でも私は、そういう限られた人しか
受けられないサービスを受けてからの店・商品紹介は
「宣伝」になってしまうと考えます。
コラムなど公の場で特に褒め称えをする場合は、
取材対象からは一切の便宜供与がない、
または、それを排除しようとする矜持が必要と考えます。

言い訳にもなるでしょうが、
友里征耶は「匿名」ではなく
あくまで顔がばれないために使用するペンネーム、
とご理解いただければ幸いです。
私が自ら実名をばらすときは、マスヒロさんや犬養さんのように
コンサルタント業を行って
お金儲けをしようと考えた時でしょう。(笑)
引退する時も自分からは実名をばらしません。