第24回 一般客は「特別料理」が食べられるのか

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  • 2003年6月11日(水)
店や料理人がお客を完全に公平に扱い、
まったく同じレベルの料理を供することは不可能です。
同じ食材一つとっても良い部位と悪い部位がかならず存在します。
例えば魚なら腹側も尻尾側もあり、
良いほうだけを使うことは無理でしょう。
コストが高くなってしまいます。
好投手といえども、9回を全力投球できないのと同じで、
料理人もすべての客に全力で
集中力を維持して料理を供しつづけることはできないのです。
どこかでメリハリをつけなければなりません。

では、サイレントマジョリティーである我々一般客が、
果たして山本益博氏たちのように
同じ努力をすることが出来るでしょうか。
答えはノーです。
時間的、そして経済的な問題から、
同じ店に毎週、もしくは週に何回も通うことは不可能です。
勿論この業界に所属していない一般客は、
取材と称して料理人に近づくことも出来ません。

たびたび訪れる事のできないお店に夫婦や家族で行った時、
一般客はどうしても違う料理を頼んでみたくなるものです。
夫婦や恋人といえども食材の好みが違う場合もありますし、
折角の訪問ですから色々な料理を見てみたいと思うのは心情です。
評論家やフードジャーナリストのように、
取材費や生業としての評論活動の必要経費として
落とせる立場にない一般客は、そう頻繁には店へ通えないのです。
よって通ぶるオーダー術もできません。

百歩譲って一般客が料理人に接近、
認められたとしても彼等料理人は食材の部位差、
集中力のメリハリをどこかでつけなければならないので、
新たに別の方法で客の選別に入るでしょう。
評論家たちもまた違った目立ち方を考えいくことでしょう。
いたちごっこです。

一般客は個人の努力で
料理評論家やフードジャーナリストになるか、
多大の出費をして常連にならないかぎり、
現在世にでている実名取材の評価本が対象としている
「特別料理」を拝むことはできないでしょう。