第141回 料理評論家、フードジャーナリストの習性・実態 その16最新版にちょっと弁解を感じました、「東京最高のレストラン」

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  • 2003年10月24日(金)
2004年度版の「東京最高のレストラン」
出版されたのをご存知でしょうか。
執筆人を何人か増やし、
黄色い表紙でかなり目立つ本になってきましたが、
今までの2冊と比べていくつか面白い変化がでていました。

友里征耶を意識したところが何点か見られるのです。
反友里の急先鋒でしょう、犬養裕美子氏のプロファイルに
今までは必ずあった、
取材店数1万何千という数字がなくなっています。
年に500店以上取材しているとはありますが、
誇りは数ではなくお店の楽しみ、
いい店とはなにかを語れるようになったこととありました。
自分の「ウリ」を変更してきました。
でも私に言わせれば、相変わらず軸足を料理人に置いていて、
一般客に良い店とは何かを語っているとは思えません。
詭弁を弄する、利に聡い料理人と一般客は、
相反する立場ということを理解できていないようです。

巻末の座談会の節では、執筆陣は皆、
店から特別扱いはされていないと言っています。
「周りの客の目がある」と言っていますが、
まだなお勘違いしています。
彼らは「特別扱い」、「特別料理」の意味を、
わざとはぐらかしているのでしょうか。
他の客の目があるので、良いワインを出してくれるはずがない、と
まったくピントの外れたコメントをしています。

私は実名取材だと、
同じ料理でも、料理の造り、食材の部位に
一般客との違いがある可能性が大だといっているのです。
料理人は本気で造ったら、
そこそこおいしい料理を提供できるのですが、
コストや手間、そして自身の儲けを考えて、
一般客へは全力投球をしないことが多いのです。
なにも良いワインが出てくるなんて言っておりません。
良いワインをサービスされている、と
糾弾しているのでもありません。
そして、「特別料理」を食べていること自体を
批判しているのでもありません。
「特別扱い」、「特別料理」は人に言わず受け入れるもの。
「特別料理」を絶対食べられない
一見、一般客が購買層の評価本に、
その「特別料理」を対象として、その店の評価を書いても、
まったく意味がないといっているだけです。
しかも、彼らは去年まで、この本で、
実名取材に対する特別待遇を認める発言をしてきたのです。
あたかもその待遇を、一般購読者に自慢するように。
鮨屋の「ほかけ」のところで、その表現は顕著に出ています。

場数を踏んでいるから、レストランの良いところを引き出せる、
店のバックヤードから見ている、とも弁解していました。

良いところを引き出しておいしく食べるのは
本人には重要でしょうが、一般購読者に意味があるのでしょうか。
一見、一般客を対象とした料理を評価しなければ
意味がないはずです。

車の評価を考えてください。
メーカーが良いところを引き出してくれると考えて、
チューンナップして市販の車よりエンジン出力を上げ、
足回りを強化した車を提供し、評論家がそれに乗って評価しても、
まったく意味がないことは誰でもわかることです。
家電製品や他の分野でも、一般客へ売り出すものではない、
ハイスペックな特別品を対象にしている評論家は居ないはずです。
日本の食評論はおかしな方向へ行っているのを、
彼らはなぜ、認識できないのでしょうか。

毀誉褒貶はありますが、
ワイン評論界の重鎮、ロバート・パーカーは、
彼の評価でワインの売れ行や値付けに
大きな影響力を持っています。
しかし、彼は、メーカーの人間と親しい、といった発言を
公にはしていません。
勿論、一般向けでない特別なキュヴェのワインを飲んで
評価しているとも言っておりません。
そんなことを言えば、世間から相手にされないのです。
本人が、一般人が飲めないワインを評価しても
意味がないことを理解しているからです。
建前では、彼の発行物は
ワインメーカーの宣伝料を受け付けていません。
裏はわかりませんが、
評価対象の関係者と癒着、親しげな接触を避けているのです。

当たり前な話で、スポーツでも、
審査員と選手が普段親しく付き合うことはしないはずです。
判事がしがらみを避けて、
なるべく一般人と付き合いを避けているのと同じ理論です。
なぜ、日本の料理評論家、フードジャーナリストだけが、
評価対象の料理人と親しくしたがるのか、
一緒に食べ歩いたりするのか、
それを自慢のごとく言いふらすのか、日本独特とはいえ、
私にはまったく理解できない行動なのです。

また、「客追い出し」をつかった、
客回転率しか考えていない主人を見抜けないならば、
バックヤードから見ているといっても、
それはただ滑稽な発言にしか思えません。
客にすばやく席を立たせるために、
従業員に「コートを手にして玄関へ持っていく、と客に言え」と
指示までしていた主人を、
本当にバックヤードから見ているのなら気がつくはずです。
いや、実名取材で特別待遇されず、一般客として入店していれば、
すぐわかるでしょう。
どこを見て料理人を評価しているのでしょうか。
犬養氏は、雑誌で1頁もさいて「麻布 かどわき」を
良店のごとく書いていました。反省か、弁解はないのでしょうか。
これこそ、事実確認をせず、
料理人へのヨイショ、思い込みだけで書いている、と
私が具体的に指摘している部分です。

カード手数料の客への転嫁に気がつかないのは、
彼らがいつも現金払いなのか、掛けなのか、
それとも支払っていないのか、はっきりしてもらいたいものです。

匿名で個人的な体験や感想を書いて事実確認をしていないと、
拙著をあたかもターゲットにしているような
発言も書かれていました。
ある週刊誌での犬養氏の発言と同じ内容なのですが、
前にも述べましたが、どこが事実確認を怠っているかを
一向に指摘しておらず、
それこそ事実確認をしないで書いているとしか
いいようがありません。

彼らは、実名ですが、自分たちも、事実確認をしないで、
料理人の一方的なPRを宣伝していることを忘れているようです。
一般客として入店していないので、
一般客へとっている料理人の仕打ちに気がつかないのです。
本当に一般読者のために、
実際の経営姿勢、料理人の性格をつかもうとしているのか、
私にはまだまだ物足りないと感じる次第です。

そして、もう一つ彼らの勘違い。ペンネームは匿名とは違います。
あたかもペンネームを匿名とわざと勘違いして、
無責任な発言と位置づけて、
友里の問題提起を埋没させようとする意向を感じます。
世に認められた出版社から堂々と出版された本は、
ペンネームでもネットの掲示板での無責任な匿名投稿とは
根本的にちがうのです。
書いたことに対する責任の所在ははっきりしています。
執筆業界で生業を立てている人として、
そのことを理解できないのが、
もしくはわざと理解しないふりをしているのが、
私には不思議でなりません。

しかし、彼らの実名取材、料理人へ軸足を置いた取材、特別料理、
ヨイショ、などへの指摘を
まともに受け入れられない立場も理解はできます。
今までの取材姿勢を真っ向否定されるわけですから、
存在価値を問われることになる、と考えているのかもしれません。
でも、それは決して一般読者、一般客の為にはならない、
彼らだけの自己保身だと思うのです。